bla bla bla

日常のあれこれ

「自尊心が失われていく気がする」という理由は理由として成り立つだろうか

いる必要ないかなと思ってしまったのですがどうなんでしょうか

結局ずっと同じこと考えてる気がする

「なんでここまでしてこれっぽっちしか認めてもらえないの?まだ足りないの?」と「単純に認めてもらえないだけの大したことないレベルの自分に向けられた現実をもっとちゃんと見たら?」が殴り合いをやめない

つらい

自分で言葉にして口に出してみたら少しすっきりした

心のもやは晴れないけども

 

自分は誰かの陰で取り零された細かな面倒なことをすくい上げて片付けることのほうが向いてるんだと

先輩方はみんな優しく穏やかでできた人だけどわたしはそうはなれないしそういうのができる人間ではないんだと

みんな異動や所属替えや昇進を経験して、つらいこと嫌なことあってもみんながあるから頑張れましたと言ってるけど必ずしもそういった経験を積まないことが悪いわけではないはずと

 

そんなことを自分で自分に言い聞かせないと救われないくらいしんどいのも認めたくないしプライドが高くて本当に困る、自分になくて他人にあるものを認めて受け入れなければ

自分の適所を見つけなければ

勝手に涙が出てきてつらい

 

受け止めきれなくて頑張れない

どうしてこうなった

野良の喫煙所

家の前に野良の喫煙所がある。錆びたただの灰皿がぽつねんとゴミ置場の脇に立っているだけの、誰のためのなんのものなのかわからない喫煙所である。いつも煙草の吸殻が溜まっているけど溢れているところは見たことがないので誰かが定期的に集めてくれてはいるのだろう。本当は隣のビルの所有物なのかもしれないが、使用不可とも書いてないので使わせてもらっている。

今日もゴミを捨てるついでに煙草を吸いに来た。ウィンストンの空箱が中にあって、前あったのはクールか何かだった気がする。相変わらず吸殻は3分の1ほど溜まっていた。

 

この前まではここで煙草を吸いながらぼんやりしていると死ぬんじゃないかというくらいに寒くて、寒い中煙草を吸っているとラブホテルでバイトをしていた時のことを必ず思い出す。今でもあの時の煙草が一番美味しかったなと思う。寒い冬の夜に清掃の呼び出し音やアラームを聞きながら裏口の狭い通路の室外機に座って、星を見ながら吸った煙草の美味しさは格別だった。

 

野良の喫煙所は大通りに面していて、この時間は空車のタクシーがひっきりなしに通る。時間帯のせいもあってかここにいると自分がタクシー待ちに見えるようで、彼らは速度を落としながら路肩に寄せ気味に走って来てくれるのだけど、喫煙してるだけだとわかるとサッと離れていくのをいつも見送る。紛らわしくて申し訳ない。

いつも煙草を吸いながら誰かと話がしたいなと思うが、誰かが現れたことは一度もない。この喫煙所で知らない誰かと一緒になったことも一度もない。知らない誰かが現れたら、どうでも良い話題、例えばありきたりに天気のことや気温のこと、どうもと一言交わすなり会釈だけでも良い。そんな喫煙所でしか交わせないようなコミュニケーションにまでも達さないような時間を一瞬でも良いから過ごしたいと思うのに、未だにそれが達成できたことはない。

ただただ寂しい。人恋しいというだけである。煙草を吸うと無性に誰かと話したくなってしまう。話さなくても良い、隣に誰かいたらなと思う。でもここでは何も生まれない。

大学の喫煙所のベンチに座って休み時間を潰していると、誰かしらが現れた。友人はもちろん、同じ学科の顔見知りだったり、もちろん知らない別学科の学生っぽい人、あとは助手や教授だったり、あらゆる人がいた。教授とかだと全然知らない人でもなんでもない話をしてくれることもあって、あの喫煙所でしか生まれないコミュニケーションはとても好ましかった。今はもうそんなことはほぼない。

いつでも知らない誰かと気負いのない適当なコミュニケーションを取りたいと思っている。でももしかしたらそういうのを望む人間は多数派ではないのかもしれない。基本的には馴れ馴れしくしてくる他人は好きではないしむしろ疎ましく感じるけれど、煙草を吸っている時だけはなぜかそれが恋しくなる。

出会いを求めているわけではないが、軽い出会いがあれば良いなとは思っている。その時だけの5分でも10分でも良い、短いすれ違いを楽しみたいなと思っている。でも多分ここにはそれはない。

 

今日も1人だった。煙草を3本吸っているうちに空車のタクシーを4台、コンビニに吸い込まれる男性を2人、カップルを1組、目の前を通り過ぎるイヤホンをつけた男性を2人見送った。

外にいてもあまり寒さを感じなくなり、春が来たんだなと思った。

誰かと話がしたい。何も考えないで瞬発力だけで適当にやりすごすなんでもない会話をしたい。

家を出るまでの残り1年半で、この野良の喫煙所で誰かと話すことはあるだろうか。

商品を世に出すということ

「この度はご迷惑をおかけし大変申し訳ない。粗悪なものを世に出してしまったことを大変恥ずかしく思う。今までは自身の目の届くところで信頼の置ける職人と商品を作り上げてきたが、今回初の試みとして外部の職人集団に外注をしてみた。初めてのことで上手くこちらでも把握しきることができず、結果としてこのような事態となり、改めてものを作ることの難しさを感じた。今後より一層気を引き締めていきたい」

 

手が止まってしまった。頭が上がらない。

ここまで強い想いを持つ人たちに対して、それを理解して胸を張って世の中に送り届けるような仕事ができているのでしょうか?

信用に足る仕事ができているのでしょうか??

苦しい。

商品について

新しい商品が入ってくる。個人的にはかなり好きなデザインだ。パッケージも力を入れていて、美大の卒業制作を思い出させる雰囲気がある。

自社の新作は正直言って終了という感じ。自分よりモノのことをわかっている人間がOKをして商品化に至ったわけで、間違ってるのはわたしのセンスのほうですねと思う他ない。本当にこれが売れると思うのか?わたしは絶対にいらない。迷走してると思う。

というところまで考えて、大きい会社と小さい個人の力のことを思った。

小さい個人であれば、自分のしたいものをしたいように作り上げることができて、独創的なものも生まれやすいだろう。ブランド力は努力次第かもしれない。大きい会社になると、枝葉が分かれてどこが諸悪の根源なのかわからないし、マスへのアプローチを考えるといやちょっとこれは…というようなものも置く必要が生まれてくるのかもしれない。それでもネームバリューは一級品。ブランド名でお買い上げもザラ。

その大きい会社が売れるものを作れる小さい個人を拾い上げて、うちでやってきましょうと甘い蜜を吸っていくのかなあとか。

でも大きい会社だからってダサいもの作るのが許されてるわけじゃないんだから真似ばっかしてないでもっと頑張ってよ!!と思った。

個人のクリエイターの力の入れようとお金のかけ方にもっと学んでいく必要があるのでは?と思う。どういう見せ方をしているかとかさ。

カラー印刷すら許さないこの会社がそんなところに共感してくれるのかなぞだけど。

思うだけです。

 

ついでにクリエイターのお抱えファンが大枚叩いていくタイプの商品を売れ行きが良いからということでブランドとして確立させて推していきたいとの話を聞いた。これがパトロンと作家の関係か、とぼんやりした。作家さんは別にしてうちのスタンスは本当にそれで良いのか?本質見えてるのかな?なんで売れたかって中身まで検証したのか??

眠い。