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日常のあれこれ

ここはわたし専用のスペースだからあんまり周りとか気にしないよ(それでも気にするけど)

久しぶりにこちらに日記を書くにあたりまして、twitterでバーッと思いつきで並べたことをひとまとめにちゃんと長文にして書き起こそうかと考えていたのだけど、いざやってみると気持ちとか勢いがたりなくて全然うまくいかないというか意味あんのか?とすら思うくらいだったのでやめました
それをしたくなった時にやればいいね。


さてこのたび留年して第2の2年生が始まったわけですが、留年してからの4月はほんとクソのようで、とにかく死にたくてたまらないような1ヶ月でした
とにかく周りと隔絶された気がしてしまって、それがなんともわたしを苦しめる
同じ学年だった友人はひとつ上にあがって、後輩だった子たちと同じ学年になるだけのことなんだけど、それだけでも随分環境が変わった。
元来被害妄想だとか考えすぎだとか人見知りだとか受け身だとかそういうのもプラスされて、全然周りとうまくやれる気がしない
同学年とかお互いにあなた誰ってかんじだし、お互いにそう思ってるのを感じてしまうので自分からも声かけて行こうと思わない(その必要もあまりない)
ひとつ学年の違ってしまった友人はゼミに入り始め、おそらく専門性の高いことをやり始めているんだろうなあということは察せるし、ほとんど学校に来ることもないようなのであまり会えなくなってしまった
別にそのへんは声かければいいんだろうけど、なんとなく自分の中でストッパーがかかってしまって、声をかけずにひとりでいることを選ぶようになった


そのへんで気付いたのは、自分は一人で生きていけないこと
それは人は知らない間にもどこかでだれかの力を借りて支え合って生きているのよ、とかそういう当たり前のことじゃなくて、群れていないと生きていけないことがわかった
別に一人でもいいかなーなんて思うことは多々あるし、実際に一人でいても大丈夫なんだけど、それは近くに行動する時間がほぼ同じような人たち(友人)が存在するから一人でいられるだけであって、結局今となってはその人たちと少し隔たりができただけでこんなにもぐちゃぐちゃになっている
もちろん隔たりを感じているの自分であって、相手に阻害されているなんてことはみじんもないのだけど、今までのようにはどうしても近寄れなくなってしまった


わたしには自分のなりたい自分像があって、それがわたしをとても生き難くしていることも感じた
人間関係って自分で思っているほどスパッと綺麗に片付けられるものではなくて、こじれたり尾を引いたり汚いものもいっぱいあるのは頭では理解できていても、身体で理解するのを拒否している節がある
それは誰かとお付き合いすることとかも関係してくるんだけど、元々わたしはわたしの思う「面倒な人間」になりたくないと常々思っていて、それを基準にしてああしたらいいかなこうしたらいいかなと考えている
しかもそれも基準はあくまで他人で、こうしたら面倒な人間に思われないかな、という考えで行動するのである。そりゃあ卑屈にもなる。
本当は米が食べたいのに、パン食の人間になりたいからパン食べたくないけど毎日毎日食べ続ける、ということをずっとしていて、本当にわたしはそれで良いの?とは思うのだけど、やめるにやめられなくなってしまった
やめるにやめられないというよりは無意識下でそれをしてしまっているのでどうしようもない。


自分がどうしたいのか、ということにもっと耳を傾けるべきなんじゃないかとは思う
何をしてても自分より他人を優先させてしまう
それが必ずしも悪いことだとは思わないけれど、今年に限ってはそんなことばかりしてたら精神的にもたないと思うのだ


誰かにすがって生きていきたい。
でもできれば人じゃなくて、なにか自分の中にすがって生きていけるものを見つけたい。
これさえあればとりあえず自分は大丈夫、というような、そんなものがあればいい。


早く自分を楽にさせてあげたいと思うのです。