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日常のあれこれ

震災のこと思い出します

震災の当日、父親が職場から帰れなくなって結局一泊して帰宅したのだけど、その時にわたしと母親でずっと家にいて、連絡手段は母親のfacebookアカウントから父親のアカウントにチャットで話しかけることでなんとかつないでいた
父親は翌日の朝帰ってきたのだけど、その時母親は憔悴気味だったので、父親が帰ってくるみたいだから車で迎えに行ってくると言ったら、母は風呂を沸かすと言いだした
父は節約家なので、一人で風呂に入る時に湯船に湯をはることはない
その時の湯船には非常用として水をためていて、母はその水を抜いて新たに湯を沸かすと言ったので、そんなもったいないことしないでよ絶対入るわけないじゃんと反論した
そりゃあ風呂が沸いてれば入るだろうけど、この非常時にわざわざ父だって風呂沸いてないっつって怒ることはまずないだろうと思った
結局母はためていた水を抜いて風呂を沸かして、父は帰ってきてから風呂につかった


それから何日か後に父にそういうことがあったんだよって話をした時にふと思ったのだけど、こういうのがもしかしたら愛なのかなーなどと感じたのです
わたしは父親の性格から判断して、非常時に水を抜いたり湯を沸かしたりと無駄なことは望まないだろう、シャワーをあびればそれで十分だろうと考えて、おそらくそれは間違ってないと思う
でも母親に聞くと、父は余震の続く中、ビルの高層階の職場の椅子で一夜を明かさなければならなくなってしまい、そのまま始発で疲れて帰ってきてるのだからお風呂入ってゆっくりして欲しいと思ったのだそうだ
それってきっと愛情なんじゃないのかなあと
わたしと母親の間での明確な考え方の違いがそこに見えた気がした


父親が「お母さんは偉いよ」とか言って叔父といっぱい飲んできもちわるいよ〜とゲーゲーしてるのをせっせか介抱する父を見ても同じようなことを思う
どうしてもわたしには、どうせ酔うのわかってるんだからいくら付き合いとはいえギリギリのラインでやめりゃいいのにとしか思えない


本当にまだまだ手の届かないことがいっぱいある
「自分」の枠の中だけでパンパンに張りつめている意識たち。