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日常のあれこれ

twitterで流れてきた記事(https://journal.rikunabi.com/work/job/job_vol52.html)を読んで、まったくその通りだと思ったと共になぜわたしは大学で学ぶことに対してこういう姿勢をとることができなかったのかなということをぼんやりと考えていた。

極論自分は大学に学ぶことを求めていなかったからなんじゃないかと思う。

大学っていうのは「入るもの」であって、義務教育の後に高校に行くのと同じような流れで高校出たら大学に入るものだろうみたいな、そのくらいにしか考えてなかったから、実際に入ってみたら絵が描ける人モノを創り出せる人なんてそこら中にゴロゴロしてて、わたし別に美術の成績が良かったわけでもないのに何してんのかななんて目的もなくぽやぽやと入学した結果簡単に道を見失うに至ったのかなと。勉強はそこそこできたほうだけど、やれと言われたりだとかそうしていたら褒められるからだとかそういう環境にまかせてやっていただけで積極的な姿勢があったとはあまり思えないし、学びたいことがあると錯覚していただけであって本当になにか学びたいなんて思ってなかったんだろう。ゆるふわ。

だって考えてみたら美大に進むことに決めた理由だって「大学入ってまで勉強したいと思う教科が他になかった」ってそのくらいだし(それでなぜ美大を選ぶのかとは良く聞かれるけれど)、別に大学行かなくても良いみたいな雰囲気が周りにあったとしたら大学行ってなかったんだろうなと思う。親も兄妹も同級生も地元のやんちゃしてる人たち以外はほとんど大学進学をしているとなると学級委員なんかやっちゃうタイプだった自分はもちろん進学以外の道はなかったし、それが当たり前だったからそれ以外の選択はあり得なかった。特に理由もなく進学しない人のことなんて理解もできなかった。学歴こそすべてとまでは言わないけれど大学まで出ることが義務教育を受けることくらい当然のことだと思っていた。だって大多数の人がそうしてるし。大学を出て就職して結婚して子供産んで死ぬことが普通だと信じて疑わなかったし、勝手にそうなっていくものだと思っていた。

まあそうするしかできなかったというよりもそう考えることに疑問を覚えないくらいに受動的に、自分で頭働かせて生きていなかったんだなと思う。

まさかそういう選択をしなければそうならないとは欠片も思っていなかった。

 

で、個人的には美大に進学するということを決めたのが自覚している中で初めて積極的に何かを自分で選んだ記憶になるのだけど、それすらも危ういような気がした。そもそも大学には行かなきゃならないものなんだもんなという前提があって、じゃあ大学行くならどの分野が良いのかなあという話だったし。逆算して決定した結果のこれ。

とはいえ英語や数学を選んだらどうなってたかと考えるとまったく想像つかないというか今よりもっとこじらせてる未来しか頭に浮かばないので結果的には良くも悪くもこれで正解だったんでしょう(と思いたい)

 

大学に入って最初のほうにできた今でも親しくしている友人は1年のしょっぱなから「大学には友達を作りにきた」と口にしていて、生きていたら何かしらの答えが得られると思っていた自分に「生きてて死ぬまでにわかることなんてひとつもない」と言ってきて、この人は何者なんだ?!?!!!?と相当驚かされたことを思い出した。

高校から一緒の友人は、1年の時に配られた自己紹介の紙の将来の夢のところに「海外でデザインを学ぶ」と書いていて、高校に入った時点でこんなに志の高い人がいるなんて!!!と衝撃を覚えたこともある。

もっとまともに真っ当にやれたら良かった。というより自分が思っているより自分がクズで何もできない人間なんだなと思い知れたのが大学生活の最大の収穫だったのかもしれない。良くも悪くも頭をゆるゆるにさせられたとも言える。いろんなことを受け入れられるように、または諦められるようになった。良かったと思いたい。

今回の選択はどう転ぶのでしょうか。