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日常のあれこれ

人種の多様性がアメリカでは当たり前の価値観として存在していて、ていう共通認識が世界中にあるから、自分の国の考えから逃れてアメリカで活躍したい、多様性の認められた国で成功したい、みたいなアメリカンドリーム?的な思想?が生まれるのかな?とふと思いました

学術的なことや実態は何もわからないし本当にふと思っただけなのでだから何ってわけではないけど

成果や結果が全てという点でけしてやさしい場所とは限らないとは思いますが

でもお国柄として仕方ないと思われるような余計なしがらみをぶっちぎって全然違う価値観や慣習のあるよその国で生活してみたいなとはやっぱり思うなあ

わたしは写真や映像で見るだけじゃなくて自分の身体をもってもっといろんなことを経験したいけどな

自分で原因のわからない長所についてはあえて言語化しない

言語化して意識し始めると長所の長所たるところが失われてしまうことがあるから
自分の写真に良いと言ってくれる人たちが大体同じようなことを良いと言ってくれていて、それは意識して自分が生み出しているわけではないから実はピンときてなくて、そのピンとこないところがわかったらなと思っていたけど、気にせずこのままでいきます
写真を良いと思ってくれる人がいることは本当に嬉しい、日々のスナップは自分の救いだったし今では日常にシームレスに組み込まれたものでもあるから
ありがとうございます
 
てなわけで見てね!

「自分がどんなギフトを与えることができるか、というアピールとその保証が必要になる 」

「実際華やかに見えてもそんなに良いものじゃないし、雇用を促進するならそりゃ自国の人間を優先させるよね」

「同じ成果を上げるならどれだけ手を抜けるかが勝負」

「俺たちが責任感じることなんてない」

きっとまたこのまま時間が経てば惰性で働けてしまうんですよね、と言ったら、「えらいよねえ、向上心があるから悩むんだよね、だってそのままでいるほうが楽に決まってんだもの」と言われて、言葉の選択の仕方やどの面を見るか変えるだけでこんなにも捉え方って変わるものなのね、と感動してしまった

逃げだとしか思ってなかったけど誰かにとっては前進のための一歩だと捉えられることもあるんだなと

事実はどうあれ言葉の妙である

 

ふとした瞬間に今のキャリアを積むことに高揚感や楽しさを覚えることがある

でも先がないことを思い出して憂鬱になる

先を無くしてるのは自分なんですけど…

 

はあ困ったな、半年

遅くともこの1年で逃げ出したい

前進するための逃げの選択を間違えたくはないな

「自尊心が失われていく気がする」という理由は理由として成り立つだろうか

いる必要ないかなと思ってしまったのですがどうなんでしょうか

結局ずっと同じこと考えてる気がする

「なんでここまでしてこれっぽっちしか認めてもらえないの?まだ足りないの?」と「単純に認めてもらえないだけの大したことないレベルの自分に向けられた現実をもっとちゃんと見たら?」が殴り合いをやめない