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日常のあれこれ

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アメリカの情報を追っかけているソース元は大体舞台関係やLGBT当事者の人たちなので、もちろん今回の大統領選でトランプを応援する人は皆無でまさか本当にトランプが選ばれるだなんてねという感じではありましたが

何が起こるかわからないものだなあ

 

他国の情勢に興味を持つよりもまずは自国がどうなっているかを知るべきだよね本当は

あなたの国はどうなの?あなたは自分の国が好き?と聞かれた時に胸を張って自分の国のことを話せるのかしら?と考えると絶対に話せないんだよな

最近どう?楽しい?と聞かれて条件反射的に楽しい!と返すことができるくらいの充実度を持って日々を過ごしていたいものです

 

アメリカが好きなのって記憶にはほとんど残ってなくても住んでたことがやはり大きいんじゃないかと思う

もちろん住んでいた時の記憶を補填するように見続けた当時親が撮った写真の素晴らしさが影響しているのもあるだろうけど

記憶は美化されるのが常だし

マンハッタンも良いけどニュージャージーのほうが穏やかな気持ちになる

大きなモールに行った時の田舎らしい安心感、ああこれだよ、という懐かしさすら覚える気持ち

緑が溢れててガチャガチャしてなくて

今回も紅葉が見事で、澄んだ青空と穏やかな気候とが合わさって本当に素敵だった

わたしも住んでみたいな

ただこれからは住むこととか旅行することでさえももしかしたら感覚が変わったりするのかもしれないな

 

難しいないろいろ

選択肢は常に多く用意して、掴むタイミングは逃さないよういつでも備えをしておくことが大切

業務でゴッホゴーギャン展に行った。
平日の朝イチなのにかなり多くの来場客がいて、常に人のざわめきがあり至近距離に人がいるという環境で見るのは正直イマイチではあったけど、先日の若沖展の行列しかり、古典というか定番モノはこういうものなのかな?という感じ。
最近はそういった古典的な名画と呼ばれる展示をわざわざ見に行くということがなく、見ても写真展とか現代よりのもの、あとは同時開催とかの常設の所蔵品展を見るくらいだったので、今回ご年配の方が多いのも目に留まった。もちろん時間帯も平日の日中なのもあるだろうけど、著名な作品の展示ほど年配者が多い印象がある。若い世代はインターネットも使いこなすし、きっと義務教育での資料も豊富に手にしてきて、あーゴッホねひまわりねはいはいとかゴーギャンタヒチのあれでしょみたいな感じなのかなと、実物を見なくても知識として知っているからそれ以上興味ないみたいなこともあったりするのかなとか思ったりした。その点ご年配の方はインターネットとかの目に見えないものよりモノの存在を大事にする(重視する)印象があるので、あたしらの小さい時はこんなの見るなんてね〜的な回顧もありつつこういう展示を見たりするのかなとか。完全に推測なので実際のところはわかりませんが。
個人的な感想として、ゴッホの絵ってこんなに見てて馴染む絵だったんだっけかという驚きがあった。今回の展示のチョイスも一因してるかもしれないけど、全体的にポップで親しみやすいというか、筆跡に勢いや熱量が感じられて、もっと重く鈍いイメージを持っていたので結構じっくり見た。
反面ゴーギャンはこんなに重たい感じだったかという。reality&imaginationのimaginationサイドとはいえ、架空のイメージとかスピリチュアル感が強くて、こちらが油断してると侵食されてしまうのではという感があった。後半の方の写実的な人物が等はへーこういうのもあるんだのーという感じ。全体的にバカの感想しかなくて学のなさがバレる。恥ずかしい。

高校の時に美術の授業で油画をして、瓶と果物とカゴと、というような静物モチーフを前に、めちゃくちゃ絵の上手い友人を横目に油絵具使ったことないし全然描けないしもうやだ完全にお手上げ…となってたら、回ってきた先生に「ロートレックみたいなタッチだね」と言われ、誰それ?となった直後にロートレック展があり、見に行って、これとわたしのとって似てるか…?!勘違いも甚だしいというか恐れ多いな…?!!と逃げ帰ったことがある。でもそれからロートレックがとても気になるし、ムーランルージュとかのポスター作品はむしろ嫌いじゃない。
わたしはガチガチに写実のぴっちり正確に!というものしか絵を描くにあたって正解じゃないと思っていたので、崩れてたり粗かったり自由だったりする今回の表現を見て、こういう作品に幼少期に触れていたらもっともっと枠にとらわれないでやっていけたりしたのかな?とふと思ったのでした。
小さい時に見てもどこまで理解できるか、受け止められるかはわからないけど、こういうのもあるというデータを貯めておくのは多分悪いことではないだろうし。

何かを理解できるようになると無知に気付くし、無知は罪ではないけど、新しいことを学ぶことの高揚感を思い出して自分も何かしたいなといろいろな憧れを抱いたりしました。
このまま道草して帰れたらいいけどこの後は仕事です。

新しいことのワクワク感を常に追い求めていたいものだな、というところでマンネリに気付く。

「3年目って辟易する時期なんじゃないかなと思って、自分も3年目で辞めちゃったし」と言った好きな人、インドネシアに旅立って行きました
尊敬する人、憧れる人が自分のことを気にかけてくれること、非常にありがたいことである
1月にはいなくなってしまう販売員の人は「若いうちに足場を固めて置かなかったから次の選択は考えるよね、選択の幅ってやっぱりこの年齢じゃ若い時と比較にならないくらい狭くなるから」と言っていた
どちらもわかる、どちらもわかるんだよな
何事も決断には力が要るなあ

http://togetter.com/li/673806
ああそうか、なるほどなというわかりがあった
わたしたちの行く末は頭打ちで薄給だけどまあまあ穏やかに働ける、正社員の可能性と選択肢は多岐にわたりボーナスも弾むけど過酷な勤務体系、ただそれもそういうものなんだと思えば納得がいく
あとはわたしの選択だけなんだな

抽象的な感想

美術におけるコンプレックスと、それの間にいるということをこう、もっと乗り越えていかないといけないなという
いい意味でそのゆるさが良いと言ってくれたことのありがたさというか、そうかこの方向でいくっていうのもありなんだなと思えて、その辺を大事にしていきたい
手に技ないとダメ、完璧でないとダメ、なのではなくて、本気でやってる人の本気のつなぎではなくてもっと曖昧な、ゆるい存在があっても良いんだと思う
というかそのゆるいレベルの人間がもっとこの世界に溢れれば全体のレベルは上がりすらするわけで
自分のポジションだからこそ発することのできる何かをもっとプライドとか捨てて発していけば良いんだよな

そして何よりやはり人と会わないとだめ
人と会って話をして、受け止めて考えなければ始まらない
それが一番大事
動きまくる必要がある

友人はいつも偉大
本当にありがとうございます

そういえば知識は身を助けると職場の人にも言ってもらえたんだったな
本を読みましょう
目的を持って生きていく