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日常のあれこれ

今まではああこのまま辞める踏ん切りをつけることもなく気付いたら5年6年と惰性でずるずる働き続けてしまうのだろう、というどんよりとした不安が心の底でずっと沈んでいたのだけど、先日何かの拍子でふとおそらくきっとこのまま働いててもどこかのタイミングでブツッと糸が切れるようにあっもう無理だ辞めよう、と思う時が来る気がする、そうなったらどう引き止められても辞められる気がする、と思えて、なんだかそう思えるととても穏やかな気持ちになった
いきなりテンションが切れて全てを放り出す/諦めるような手段は今までのバイトの辞め方にも全て共通しているのでそういう風にしかできないのかな自分は
とにかく続けていてこれはもうだめだ、と本能的に思うタイミングがきっと来る、と思うだけでも安心する
終わりが見えることは安心である

良くも悪くも今までとは全然違う考え方や気付きを得ることができるようになったのは本当に今の環境にいるおかげ
そんなことをよく思う
その話もいずれ書き残しておきたい

昼間家でぼんやりしていたら固定電話が鳴り、なんの勧誘かなと出てみたらなんと施設にいる祖母からで、家に帰りたいから迎えにきてくれないか、とのこと、緊急事態なんじゃと思って親に確認を取ってもらったら、電話をかけた時には施設の職員の人が隣にいる状態で、ふとしたタイミングで帰りたい帰りたいとなって電話をかけたがることはよくあることであり、電話をかけても誰も家にはいないんだけどかけてみるだけで落ち着いて後はまたいつも通りになるらしい(そもそも電話をかけて誰も出なかったね、そろそろご飯にしましょうか、と次の動作を促すともう電話をかけたことすら覚えてないのである)。

なんにせよ緊急事態ではなかったので安心したけど、やはりこの一連の祖母の忘れてしまうことに関しては1年以上経っていてもまだ慣れることができない。
 
祖父が死んだ時もその場には立ち会っていたし、葬式も出た。家にくればお線香を上げる。しかし遺影の中の笑った祖父の顔を見るたびに毎回必ず「あらこんな良い写真があったのねえ」と言う。もう何百回聞いたかわからない。
同じ部屋のベッドがなくなってしまって世話をする相手がいなくなってしまったから、死んだことはきっと知っている。死んだことがわかっていなくても不在であることはわかっているはず。
祖父の葬儀の時にひとりで祖母を迎えに行ったら、窓の外の明るさだけの薄ぼんやりした電気のついていない施設の部屋の中、祖母がベッドに腰掛けてアルバムを開いて写真を見ていて、「もう全然覚えてないわねえこんなこともあったのねえ」と言っており、その向かいの空になったベッドを見て「あらおじいちゃんは?」と言っていたことを覚えている。
わかっているけどわかっていない。”何か違う”ということだけ感じているらしい。
 
完全に記憶を失っているわけではなく、短期的な直近のことを覚えていられないだけとはいえ、今自分がいる施設が自分の本当に住んでいる場所ではないことを常に感じており、どうして自分がここにいるのかがわからないが故に今日みたいな電話をかけているのだろう。誰も出ることのない家に電話をかけ続けている祖母のことを思うと胸が潰れそうになった。
本当に施設に入れっぱなしで良いのか、仕事を辞めて家で面倒を見れば上手くいくんだろうか、とは思うものの、きっと今みたいに週に何度か会いに行って後はプロに任せるという距離だからこんな風に接することができて、家で四六時中面倒を見ることになったらわたしは発狂してしまうんだろうな、と母も呟いていた。本当にその通りだと思った。わたしでもそうなるに違いない。
 
忘れてしまうこと自体を覚えてないから忘れていることもわからない。ある意味幸せなのかもしれない。
記憶の保てない祖母の中で祖父は何回死ぬんだろうか。
わたしはと言えば会うたびに「ボーイフレンドはできたの?良い人早く連れてきなさいよ、夏には山口においでね、海しかないけどね」と無邪気な笑顔で腕を引っぱってくる祖母の言葉に罪悪感を覚えてしまうことを止めることができない。

店頭で男性客が近くにいたので何かお探しのものございましたらお伺いいたします、と声かけをしたら顔を上げて数秒こちらをじっと見てきて、な、なんだ?と思ったら「その眼鏡すごく可愛いね、どこのブランド?」と言われ驚いた
もう少し前には中年男性にも「とても良い眼鏡をしているね…最高だよ…」と至近距離で言われて怯んだりもしており、とにかく男性ウケが良い気がする
職場の女性陣には眼鏡外した方が良いと散々言われるけれど

そういえばニューヨーク行った時に地下鉄のエスカレーターで前に乗っていたご婦人がパッと振り返って「あなたのその眼鏡とても良いわね」と言ってもらって感動したことを思い出した
気に入って身につけているものを褒められるのは嬉しい

眼鏡は四角い形で横幅大きめのが好きなのでメンズものを選びがちである
今年こそ新調したいものだと思ったけどこの眼鏡も2015年の一発目に買ったやつだった
zoffさまさま、ありがとうございます

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"excuse me"の意味合いで本来ならば「失礼いたします」や「恐れいります」などの言い回しで良いはずのところを「申し訳ございません」と言っている人がいて非常に気になる
謝る必要のないところで謝っているのは正しくない
必ずしも正しいことが正解ではないこともわかってはいますが

手紙を書いている

1年という短い期間だったがお世話になった上司、独身の女性で、いつも身綺麗にしている方だった

あまりにも年齢不詳なので、ここで働く人は皆さん年齢不詳でらっしゃいますけどSさんも本当に若々しくてらっしゃいますね、と話したことがあり、そしたら「わたし独身でしょ、子育てとかそういうつらいことやってこなかったからね、その分やっぱり若くいられるのよ、やっぱりああいう疲れって出てきちゃうでしょ」とさらっと言っていて、すごい人だなと思ったことを覚えている

本当は上に立つ人として身だしなみを整えるだとかそういった初歩的なルールは率先して守るべきだとは思うものの、本人もそれを自覚しながらいつも爪をシルバーのマニキュアできらめかせていて、身だしなみチェックの日になると「ダメよ〜わたしひっかかっちゃうんだから〜強く言えないのよ〜」と隠れたりするような茶目っ気もあり、配属前の噂だと鬼のようなベテランが来ると聞いていた分親近感を覚えるようになったのだった

しかし仕事はちゃきちゃきと進めて、ベテランらしい貫禄もあり、クレーム対応等で話す言葉には確固たる意思と気遣い、話を聞く姿勢は素晴らしく、この人が話せばどんな事故案件も丸くおさまるのではという安心感もあった

理不尽な物言いに対しての「できないことはできないって言ってるんでしょ、ご説明もしたのでしょ、ならこちらからできることは何もありませんから」という姿勢は個人的には信頼のおけるものだった

下半期に入ってからはPOPの原稿チェックをしてもらう機会が増え、見せるたびに「良いわね〜この言葉の選び最高じゃない?センスあるわよ」と言って頂けて、そんな、そこまで持ち上げんでも、と思いはするものの、そういった些細なことで自信をつけていくことができたのも事実で、担当になって良かったなと思うことができた

この人に限ってだけでも1年だけの関わりでもこれだけ思い出すことができて、リーダーなんで入社時からお世話になっているのでもっといろいろ出てくるけど、他を知らないからわからないけどなんとも働く人には恵まれた配属にしてもらえて良かったなと思うばかり

 

別の話ではバイヤーがいったん休職をして大学に入り直すそうで、きっかけとしてはアウトプットを続けた結果のフィードバックを自身で肌で感じる機会が仕事量が増えるに連れて減っていき、商売ってなんなんだっけ、ということをあらためて学び直したいと思ったそうで

なかなか2年も休職させてくれる会社もないから、何かこの長い人生の中で考えてることがある人は思い切ってやってみたほうが良いですよ、わたしも大学で勉強し直して得た知識を持ち帰ってまた皆さんとお仕事できたらと思っています、と話していて、ああそんな働き方がわたしにもできるだろうか?と思ってしまった

頑張る余地は本当に本当にたくさんある

いま体力がある内でしかできないけど

でも本当に今の時間をこの仕事に費やしてしまうことが正しいのかが疑問

もっと上の人と話をしてみないと、自分をオープンにしていかないとだめなのかなあ

組織にいるというのは難しいことが多いな

 

今年度もラスト1日、4月に入れば新入社員が入ってきて、ついにびっくり3年目だー