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日常のあれこれ

仕事場に高校の時の部活の同級生が顔を出しに来てくれた。

いきなり名前を呼ばれたので何事だ?と辺りを見回したら久しぶりの顔がそこにあり、多分5、6年ぶりとかに会ったのだけど、前とまったく変わりない様子だった。

いつもお店来るたび探すのに全然見かけないんだもんと定番の言葉を言われたのだけど、なんだかその子に言われたそれはとても驚きがあって、部活の集まりみたいなものも全然してないし卒業後も1回しか会わなかったくらいだから、在学中はすごく仲良くしてたけどきっともう忘れられてるんだろうなあ寂しいなあと思っていたので、覚えていてくれて嬉しい・・と思わず口走ったところ「何言ってんの〜忘れるわけないでしょ〜」と笑い飛ばされて正直泣きそうになってしまった。

久々の友人は良い。頻繁に連絡をとらなくても続く仲ほど嬉しいものはないなと思いました。

同じ新宿同士また連絡するから酒でも飲みましょうやと言って別れた。

嬉しい出来事の記録でした。

今日の退勤後にたまたま荷物を片付けに裏に行く途中で通りかかったゴミ置き場の前で、納品されたままの状態の見るからに綺麗で美味しそうな良い香りのするパンを袋にまとめてはゴミ置き場に投げ入れているのを見かけてしまい、普段ならおそらくああ廃棄かというだけだったとは思うのだけど、その綺麗なパンたちのあまりの量の多さと香りの良さに思わず立ち止まってしまい、口を開けてしばし眺めてしまった

するとまあ当たり前なのだけどその作業をしているおそらくメーカーの方であろう人と目が合い、やはり思わず「これ全部捨てるんですか」と聞いてしまった

もちろん答えは「そうなんですよ、売れないので」とのこと

なぜ売れないのか聞くと「賞味期限が明日までで、明日期限が切れるものを売ることはできないから」だそうだ

なんて理不尽な話なんだろう!!ここにあるパンはまだすべて食べられるもので、期限の切れていないもので、誰も手をつけていなくて、商品として問題なく売れるものなのに!!!と叫びたかったけど叫ぶわけにも行かず、そんな・・もったいない・・・こんなにいっぱい・・・とうろたえることしかできなかった

本来なら売り切ることのできる量を仕入れたのに売り方の変更を急遽言い渡されて、その方法だと自分たちのものは売りにくいことは元々わかっており、結局これだけ売れずに残ってしまったという話のよう

「ね、ほんと、もったいないですよね、まだ食べられるのに」と笑いながら話すその顔はやっぱりどこか寂し気と言うか、納得いかないような煮え切らないような複雑な笑顔に見えた

もはやヤケクソというような感じでエ〜イと声を出してゴミ庫にパンを投げ入れる様子は本当に胸が詰まる思いで、ただただもったいない・・どうして・・としか呟くことのできない不甲斐なさで涙が出そうだった

そしたらその人は「いります?よかったら持ってってください」と言い、え!!そんな!!本当ですか!!!でも!!!!と動揺していたら「どうせ捨てちゃうんで、もらってもらえるほうが嬉しいです」だなんて言ってくれて、イベントで呼ばれて来たのに手作りの我が子同然のものをこんな風に捨てるはめになってしまって、それでもタダでもらってくれたほうが嬉しいとまで言わせてしまって、一体全体どういうことなんだこれは、うちの会社はこれで良いのか??と頭の中がめちゃくちゃになってしまった

実家なんでいっぱい持って帰れます、母も大好きなんで喜びます嬉しいとお言葉に甘えて2袋分ももらって、スタッフの方も「もらってもらえて嬉しいです」なんて言ってくださって、自分にはなにもできることがないことに申し訳なくなり「社が本当にすみません・・」と無意味に謝ってその場を離れた

 

自分でご飯を作って鍋に入れっぱなしにしてたら腐らせてしまい泣く泣く全て捨てたり、旅行までに処理しきれなかった葉ものの野菜の色の変わってしまったところを無表情でちぎり捨てたりすることのどうしようもない罪悪感のことを思い出す

こんなことがあってこの人たちはまたうちで売りたいと思ってくれるだろうか?

管轄が違うからなんともしがたいけど自分だったらもうこんなとこ絶対来ないとなってしまいそう

母親が生活困窮者の支援をしていて、最近はよく親戚の店に期限の近い商品を卸してもらえないかとかそういう話をしているのを聞いていたので、今回のその大量のパンを見てこれだけあればどれだけの人が食に困らなくなるだろうと思わずにはいられなかった

もちろん普段からそういうことを考えているわけではけしてないけど

 

今日は本当に思考の振り幅の大きい変な1日だった

忘れたくないことがたくさんあった

仕事の楽しさの新しい面に触れることができたのは良いことだけど、先に書いた作り手をが自ら自作のものを捨てる現場に立ち会ってしまったのは苦しいことだった

店頭に立ち寄る時間が作れたら直接お礼を言って、ちゃんとお金払ってまた買い直したい

人の手が加わっているものについて、その仕事に対しての正しい値段を支払うということ、技術の価値というかそういうものはボランティアやサービスではけしてない、みたいなことがもっとちゃんと広く認識されると良いなあと思う

今まではああこのまま辞める踏ん切りをつけることもなく気付いたら5年6年と惰性でずるずる働き続けてしまうのだろう、というどんよりとした不安が心の底でずっと沈んでいたのだけど、先日何かの拍子でふとおそらくきっとこのまま働いててもどこかのタイミングでブツッと糸が切れるようにあっもう無理だ辞めよう、と思う時が来る気がする、そうなったらどう引き止められても辞められる気がする、と思えて、なんだかそう思えるととても穏やかな気持ちになった
いきなりテンションが切れて全てを放り出す/諦めるような手段は今までのバイトの辞め方にも全て共通しているのでそういう風にしかできないのかな自分は
とにかく続けていてこれはもうだめだ、と本能的に思うタイミングがきっと来る、と思うだけでも安心する
終わりが見えることは安心である

良くも悪くも今までとは全然違う考え方や気付きを得ることができるようになったのは本当に今の環境にいるおかげ
そんなことをよく思う
その話もいずれ書き残しておきたい

昼間家でぼんやりしていたら固定電話が鳴り、なんの勧誘かなと出てみたらなんと施設にいる祖母からで、家に帰りたいから迎えにきてくれないか、とのこと、緊急事態なんじゃと思って親に確認を取ってもらったら、電話をかけた時には施設の職員の人が隣にいる状態で、ふとしたタイミングで帰りたい帰りたいとなって電話をかけたがることはよくあることであり、電話をかけても誰も家にはいないんだけどかけてみるだけで落ち着いて後はまたいつも通りになるらしい(そもそも電話をかけて誰も出なかったね、そろそろご飯にしましょうか、と次の動作を促すともう電話をかけたことすら覚えてないのである)。

なんにせよ緊急事態ではなかったので安心したけど、やはりこの一連の祖母の忘れてしまうことに関しては1年以上経っていてもまだ慣れることができない。
 
祖父が死んだ時もその場には立ち会っていたし、葬式も出た。家にくればお線香を上げる。しかし遺影の中の笑った祖父の顔を見るたびに毎回必ず「あらこんな良い写真があったのねえ」と言う。もう何百回聞いたかわからない。
同じ部屋のベッドがなくなってしまって世話をする相手がいなくなってしまったから、死んだことはきっと知っている。死んだことがわかっていなくても不在であることはわかっているはず。
祖父の葬儀の時にひとりで祖母を迎えに行ったら、窓の外の明るさだけの薄ぼんやりした電気のついていない施設の部屋の中、祖母がベッドに腰掛けてアルバムを開いて写真を見ていて、「もう全然覚えてないわねえこんなこともあったのねえ」と言っており、その向かいの空になったベッドを見て「あらおじいちゃんは?」と言っていたことを覚えている。
わかっているけどわかっていない。”何か違う”ということだけ感じているらしい。
 
完全に記憶を失っているわけではなく、短期的な直近のことを覚えていられないだけとはいえ、今自分がいる施設が自分の本当に住んでいる場所ではないことを常に感じており、どうして自分がここにいるのかがわからないが故に今日みたいな電話をかけているのだろう。誰も出ることのない家に電話をかけ続けている祖母のことを思うと胸が潰れそうになった。
本当に施設に入れっぱなしで良いのか、仕事を辞めて家で面倒を見れば上手くいくんだろうか、とは思うものの、きっと今みたいに週に何度か会いに行って後はプロに任せるという距離だからこんな風に接することができて、家で四六時中面倒を見ることになったらわたしは発狂してしまうんだろうな、と母も呟いていた。本当にその通りだと思った。わたしでもそうなるに違いない。
 
忘れてしまうこと自体を覚えてないから忘れていることもわからない。ある意味幸せなのかもしれない。
記憶の保てない祖母の中で祖父は何回死ぬんだろうか。
わたしはと言えば会うたびに「ボーイフレンドはできたの?良い人早く連れてきなさいよ、夏には山口においでね、海しかないけどね」と無邪気な笑顔で腕を引っぱってくる祖母の言葉に罪悪感を覚えてしまうことを止めることができない。