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日常のあれこれ

不思議な気持ち

最近ぼんやりしていて、あああれをやりたいな、こんなことやりたいな、というようなことを考えだすと、それらを具体的にどうしたら達成できるのかというところにいき、最終的にパキッとしたかたちにはならないにしても、ああわたしできる気がする、と思うのです
今具体的に考えていることとして、自分のイメージするとおりの空間をつくりあげたいと思っていて、モデル選びから衣装からメイクから小道具からなにからなにまで全て自分で用意して、それをつくりあげたのち撮影したいのである
よくよく考えてみてそれが撮影をメインとしているのか、空間づくりをメインとしているのかはいまいちわからないのだけど、とにかくイメージは現段階でそれなりにできてきてはいるので、やりたいなあと思っているのです


そもそもわたしは何がしたいのかいまだによくわからなくて、とりあえず今は写真が楽しいので「撮影」という方法をとっているに過ぎなくて、絶対に必ず写真でなくてはいけないというわけではない
第一写真を撮ると言っても、作品として撮っているのか、記録として撮ってるのか、その辺の境目が曖昧で、作品と言いきるには当事者という感覚が足りないし、記録にしてはこだわりを持ちすぎている気もする
カメラとモチーフさえあれば、切り取りたい場所を見つけてシャッターをきるだけでひとつの絵ができる、という気軽さが良くて、カメラを用いているだけというのはある
本気で真剣に写真をやっている人に言わせればなめやがって・・と思われても仕方ない言葉かもしれないけど。
だからと言って撮影を不真面目にやっているつもりはなく、わたしはわたしなりに真面目に真剣に取り組んでいるので、言葉足らずということで許してほしいです


完璧を求めるという点で、わたしにはわたしの思うような絵を描くことができない
それの代替物として写真を選んでいる部分もあるかもしれない。
わたしは人をモチーフにするのが好きなのだけど、自分で人体を描こうとすると、どうしても平面的な、ペラッとしたものしか描けない
自分の描くイラストも嫌いではないのだけど、それを描きたいのではなくて、もっと人らしい人を描きたいのある
でもやる気がないのや怠惰なのもあってそれがまだできない。
実物の人ならば目の前に存在していて、そこで自分の思うようなポーズをしてもらったり着飾ったりしてもらってシャッターをきれば、見たままの、思ったままの姿を切り取ることができる
そっちのほうが自分の思う「完璧」に近い。
そして自分は今そちらのほうが気持ち的にもやりやすいと思っている
ならそうするか、というかんじ。


明確に何を目指してどんな手段をとるかとかまあよくわからないけれど、とにかく今できることはやれているのではないかと
そういうことをしやすい環境にあることにもようやく気付くことができた
それはそれで幸せに平和に生活していけてると思います


予備校の恩師に久々に会いに行き、話したくて話せなかったことをいっぱい聞いてもらった
ただただ聞いてくれて、否定も拒否もせず受け入れてやんわりと意見も出してくれる程よい距離感の存在が欲しくて、それがまさに手に入ってとても安心しました
「自分が快適かどうか」ということをもっと考えるべきだと、わたしはそれを考えて行動を選択することができるはずだと


ゆっくりぼんやりとだけど環境は変わりつつある
今の自分は好きだ。